いい加減、我慢の限界だ。 と、さすがに口に出すことは憚ったが、消化不良の気持ちをどうやって解消したらいいか わからないのが正直なところだ。 最近はお互い仕事尽くしでなかなかゆっくりした時間が取れないことはわかっている。 けれど、もう何週間我慢していると思っているんだ。 僅かに肩を張りながらリグディは艦内をずかずかと歩いていた。 いくら慌ただしかったとはいえ、定期的に休暇なり栄養分を補給しないと本当に壊れちまう。 その言葉は部下だったり、自分だったりに言えるけれど、 一番に言いたくなるのはやはり、彼――レインズだ。 ここ数日ろくに会っていないし、人づてに様子を聞く事しかできていないのが現状だ。 しかも話を聞く限り、ほとんど休まずデスクに向かっていたり指示を出していたりするらしい。 さすがというべきか、何をそんなに焦っていると言いたくなるほど最近の彼は仕事に熱中している。 だが、理想の為に頑張っている彼の背中を見るのは妙に心地よかった。 だからこそあんまり急ぎ過ぎて先走らないようにしなくては―― 否、彼が走る事を止めさせたくはない。 ならば、レインズの背中を見失わないように追いかけるのが自分の務めだ。 しかし、やはり休息も必要だろう。 休憩を利用し面会時間を取っては見たが、正直彼が素直に言う事を聞くとは思えない。 けれど言ってみなければわからない。 精神的にはいいにしろ、身体自体が持たなくなったらそれで終わりだ。 それだけは注意しなければならないと思って赴いたのだった。 リグディはふぅと息を吐きながら彼がいる部屋のドアをノックした。 中から端的な返事が聞こえるや否や、リグディは部屋の中に入る。 「失礼します」 「どうかしたか」 ゆっくり歩み寄る。 山積みの書類を支えるデスクに向かいながら、レインズは返事をした。 目線は書類を向いたままで、少しだけ胸がむかむかする。 「お疲れ様です」 どんだけ仕事が好きなんだ、と言ってやりたかったけれど、 その事実は彼が一番わかっている事だから口を閉じた。 栄養ドリンクを目の前に置くと、ようやくレインズの視線がリグディを捉える。 「すまないな」 だが、そう言ったきり再び視線が書類に戻った。 栄養ドリンクを飲む時間さえ惜しいというのだろうか。 リグディは肩を軽く落として呆れた溜息をつく。 「…まだ終わらないんですか?」 「ああ」 書類を弄る手は止まる事を知らない。 休みを取らないレインズもレインズだが、 これだけの仕事を回す聖府の人間たちもどうかと思う。 いくら彼が仕事の腕が優れているからと言って――ああ、違うな。 優れているから全て彼に任せているのだろう。 だが、信頼が置けるとはそういうことなのか? リグディの中で小さな疑問が生じる。 近くにあった椅子にまたがるように腰を下ろした。 本来の座り方とは真逆で、背もたれの上に腕を組んで顎を乗せる。 「いい加減、頑張りすぎだと思うんスけど」 「時間は限られている」 「そうは言っても、休憩も必要ですよ?」 微かに笑ってみたものの、レインズの返事はない。 なかなか素直に言う事を聞いてくれないものだと小さく息を吐き、 リグディは彼の外に見える景色を眺めた。 水色に澄んだ空はどこまでも広がっている。 時折流れてくる雲がゆっくりと横切り、やがて消えてゆく。 この空のようにレインズも少し時間的な余裕を持った方が良いとは思うのだが。 と、視線を戻してみるものの、先ほどから景色は変わらず、机に向かって睨めっこ状態だ。 何だかんだ言っても、やはり集中している時の彼は惹かれるものがある。 何かに向かって突き進む揺るぎない眼差しが心を震わせた。 目を細めながら視線を注いでいると、レインズの手元が一瞬止まった。 鋭い瞳だけが動く。 「何を見ている」 不意に話しかけられてリグディの背筋がぴんと伸びる。 じろじろと見ていた事に気付いていたのだろうか。 リグディは場が悪そうに視線を外しながら、頬をぽりぽりと掻いた。 「…いやぁ…やっぱり、仕事してるあんたは惚れぼれするなと」 「戯言を。褒めても何も出ないことは知っているだろうに」 レインズは口角を上げながら鼻で笑った。 書類が目の前をふわりと通り過ぎる。 リグディはふと、ポケットにしまっておいた栄養ドリンクを取り出した。 レインズの分だけでなく自分の分も一応持ってきたのだった。 渇いた喉を潤そうと、キャップ部分をひねると、 かちっと音がしてほんのり酸味の独特の香り漂う。 一口飲んでから、リグディは唇をそっと親指で拭った。 「最近構ってくれなくて寂しかったんですよ」 少しだけ甘えてみる。 そもそもここへ来ることの発端は我慢の限界が近くなったことだ。 戯れることさえろくに出来なかったのだから、それなりに身も心も疼き始めてしまう。 俺は発情してる猫かよ、と自ら突っ込みを入れながら、 もう一度、栄養ドリンクを喉に流し込んでからちらりと視線を向けた。 「仕方のないことだ」 素っ気ない返事に唇を尖らせてすねた様子を見せると、 お前だけに構っていられるかという鋭い視線が戻ってくる。 でも、何だかそれが嬉しくてバレないようにくすりと微笑む。 それからのっそりと立ち上がり、レインズが目を通す書類に手を伸ばして取り上げた。 「ムラムラしてるんですけど」 「するな」 僅かに眉間に皺を寄せながら、レインズはリグディから書類を取り戻す。 せめてひとときでも、仕事の事を何も考えずにいてほしいと願うのは部下としてどうなのだろうか。 そう問い質されたら笑って誤魔化すしかできないだろうけれど。 「どうにかしてくれないですか?」 「自分で解決してくれ」 「無理です」 いきなり迫られた呆れから、レインズは微かな溜息が零れる。 手元の書類を机の上で整えてから、山積みの紙に乗せた。 リグディはその山に肘をついて、体重を押しつける。 「俺も准将も働きすぎですよ」 いつの間にか端に除けられていた栄養ドリンクを目の前に差し出す。 「リグディは休んでばかりだろう」 「それはさすがに言いすぎですってば。 近頃はろくに酒だって飲めてないですし」 働くことは働いているが、どうにもこうにも分が悪い感じがして苦笑する。 確かにレインズと比べたら随分と休んでいることになるはずだ。 仕事尽くしなことは多少自覚があるのだと安堵する一方で、 いい加減、自分の身体の心配もしたらどうだと言いたくなる。 「しかし、准将が倒れたら困るんで。 ひとりで背負い過ぎってことを少しは――」 わかってくれ――と言いかけて、レインズがゆっくりと立ち上がったのが視界に映った。 意外と身長があるレインズは、隣に立つと僅かに見上げる形になる。 目の前にくるとやはり迫力があるなと思っていると、不意に唇が塞がれた。 「っ……」 触れるだけの柔らかい口づけは、ちゅっと軽く音を立てて離れた。 久々の黒髪の匂いに、一瞬意識が飛んでしまいそうになる。 交わった視線。 机を隔てて見ていた時とは違う瞳の色に、リグディは喉を鳴らした。 軽く触れただけで全てわかってしまうほどの、想い。 「治ったか?」 「え…」 「身体が疼くと言っていただろう」 「…治りません。むしろ酷くなった」 そう告げると、レインズの瞳が細められたのがわかった。 顎に指をかけられて向き合うとついつい期待してしまう。 「ずるいですよ…。あんただってやりたいくせに」 独り言を洩らすように呟くと、レインズの胸元から機械的な音が響いた。 無線機だ。 体勢を保ったまま、レインズは無線機を取り出した。 この状態のまま一体何をしでかすと言うのだろうか。 微熱に浮かされるリグディはうっすらと唇を開いたまま、彼の声を横流しで聴いていた。 「――どうした。……ああ…そうか。そのまま進めてくれ。 ……私はこれから席を外す。…いや、気遣いは無用だ。 ああ、少ししたらまたこちらから連絡する」 スイッチを切るなり無線機を机の上に置いて、再びリグディの瞳を捉える。 覚悟を決めた鋭い眼差しだ。 逆らえないと悟った時には、自然と笑みが浮かんでいた。 「相変わらず、嘘をつくのがお上手で」 「嘘をついた覚えはないが」 リグディは手を伸ばし、艶やかな黒髪に指を滑らせた。 触れられるのが苦手なのだろうか、レインズはなかなか触れさせてくれない。 だから、その髪に頬を寄せて唇を落とす。 それが唯一、触れることを許される合図となる。 誓いの儀式のような行為が終わると、言葉ないまま再び唇が重なった。 懐かしいレインズの腕の感触がリグディを包み込んで、ひとときの休息へと共に沈んでいった。 ――――――――――――――――――――――――――― こっから二人の濃密な…突入予定なので一旦区切りました(笑) 挑発されるとついつい乗ってしまう。でも余裕あるシドが好きです。 リグディが思ったより誘い受けになってしまったな…。 それはそれで楽しかったので良しとする。(自己解決) それにしてもどんだけお預けくらってたんだろうか。 でもひとりでするのは寂しいんだろうな…うん。 他愛ない会話とかしていたり、意味もなく戯れてるのが好きなんだと思う。お互いに。 TOPへ 戻る