コクーンでは滅多に雨が降らない。 唯一、サンレス水郷で行う天候の実験で雨を降らしたりしているらしいが、 一般人だろうと軍人だろうと、簡単に目に出来るものでもない。 もともとコクーンは雨が降らなくても良いような環境を作っているわけだし、降ること自体だって珍しい。 否、雨が自然に降るのではない――意図的に降らせていると言った方が正しいだろうが。 今までの人生、空ばかりを見上げて来たが、 雨が降る様をこの目で見た事は数えるほどしかない。 それは自分だけでなく大多数の人間がそうだと思う。 だから、雨というものはコクーンにとって特別な存在だ。 滅多に見る事のない雨の存在というものは大きく、 良くも悪くも何か起こるかもしれないという市民の噂を広げる予兆となっていた。 けれど、そんな雨を彼は好きだと言う。 騎兵隊として引き抜かれてから、レインズの家に世話になっている。 当初、住む家を用意していないと伝えると、彼は我が家を使えばいいとさらりと言った。 ひとりを特別扱いして大丈夫なのかと驚きながら問いかけてみたが、 ひとりで使うには大きすぎるのでな、と笑って誤魔化された。 実際レインズの家に来てみると本当に大きかった。 軽くランニング出来るくらいのリビングの広さ。 さすがは准将といったところだろうか。 それにしても、こんなところで一人で住んでいたら人も恋しくなる。 レインズのせっかくの厚意を無駄にするわけにはいかないだろうと、すぐさま住むことを決めた。 しかし、ここを使い始めて随分と経つ気がするが、未だにこの広さには慣れない。 仕事上、普段は飛空艇で過ごすことが多い。 たまに地上に戻ってくる休暇の際に帰宅するため、 家に無駄な家具は置かれておらず、すっきりしている。 リグディは広いリビングに置かれたソファーに腰かけるレインズに目をやった。 日当たりの良い窓に向かって寛ぐ背中が見える。 だが、外から暖かい日差しが注ぎ込んでいるはずなのに、耳に届くのは静かな雨音だ。 「飽きないんですか?」 「飽きないな」 からかい混じりの声をかけるとすぐに返答される。 瞼を閉じながらうっすらと笑み浮かべる彼の隣に腰をかける。 ソファーは程良い柔らかさで身体を支えてくれた。 「空から水が落ちてきてるだけの音ですよ?」 「お前にはそう聞こえるかもしれんな」 静かだった雨音が徐々に強まってゆく。 部屋の中だけに響き渡る音はオーディオから流れてくるものだ。 どうやらレインズが生態管理部から、雨音だけを収録した音楽素材をもらってきたらしい。 優しい音から激しい嵐の音まで、一体何種類あるのかわからない。 聞き分けするにはまだまだ時間がかかりそうだ。 けれど、雨音を耳にするレインズの表情は本当に穏やかだった。 日頃の疲れを全て忘れそうなくらいの、心地よい眼差がじっと窓の外を見つめている。 部下たちがこのレインズの表情を見たら驚くに決まっているだろう。 そんな事を考えて思わずにやりと口角が上がってしまった。 近くにあった正方形のクッションを手に取り腕で抱える。 仄かにレインズの香りがしてドキリとした。 しばらくの間、彼と同じように雨音に包まれてみる。 部屋の中は雨の音に満たされてゆく。 だが、やはり音の違いなんて大雑把にしかわからない。 下手したら段々うとうとしてきてしまう雨の音にリグディはゆっくり瞬きをした。 すると、澄んだ彼の声が嵐を遮る。 「雨は色々な表情を聞かせてくれる」 「それを言ったら空だってそうですよ」 「ああ…リグディは空が好きだったな」 そう言われてつい口元が緩んでしまう。 子供のころから見上げて来た空に少しでも近づきたかった。 空を飛んで、空を感じたくてこの職に就いたと言っても過言ではない。 青く澄み渡る空。 雲の流れを見ているだけで時間を忘れてしまう、吸いこまれそうな水色。 朝や夕暮れに染める橙の温かさ。 いつでも変化に富んだ表情を見せてくれる。 それは雨音と同じ魅力だ。 「俺は一度――」 クッションに顔を埋めながらぽつりと呟く。 また、雨色が変わった。 「虹というやつを見てみたいんですけどね」 「七色の光が空を架けるという虹か?」 レインズの好奇な視線がリグディに向けられる。 「ええ。世界の果てから果てまで繋ぐって昔から言うじゃないですか」 「世界を繋ぐ…か」 所詮、そんな話は伝説にすぎないけれど、 この目で見たことがないのだから嘘だとも言えない。 「虹を見るためには雨が必要不可欠なんでしょう?」 「ああ、そのようだな」 どこかの書物で見たことがある。 晴れた空に雨が降ると虹が生まれると言うのだ。 人の手では生み出せない粒子が輝いて世界の端と端を繋ぐ。 そんな偶然、機械が故障しない限りコクーンではあり得ないだろうが。 それ故、今度サイレス水郷で実験してもらえないかなと密かに企んでいる。 「私も見てみたいものだな」 「准将も見たことないんすか?」 「実物はな。 以前、生態管理室の資料映像で一度は目にしたが」 「へぇ…そりゃあ羨ましい」 資料映像だろうとちゃんと虹のデータがあるのだ。 実物じゃなかろうとその目で見たことがあるなら羨ましすぎる。 リグディが目にした事があるのはせいぜい書物に載る古びた写真だけだ。 本当に七色の光が空を彩っているのだろうか。 どうやってあの大空に架かるのだろうか。 考えれば考えるほど気になってしまう。 強くクッションを抱きしめてリグディは遠く視線を向けた。 柔らかく注ぎ込む光の先の向こうに浮かんだ豆粒の飛空艇が見える。 すぐそこにあるはずなのに、届きそうで届かないもどかしい気持ち。 レインズは、子供のように強請るリグディの視線に目を細めた。 「頼んでみるか。それほど難しい注文でもないはずだろう」 一瞬、どきりと心臓が高鳴って思わずレインズの方へと振り向いた。 彼の優しさに胸がいっぱいになる。 けれど、それだけでは埋まらない欲望がある。 「いや、いいですよ。 実物じゃなきゃ意味がないと思いますし」 「あの謂れを信じているのか?」 「…まぁ、信じているっちゃ信じてます」 レインズが問いかけた謂れ――虹は、晴れた空と雨が交わる奇跡。 不可能を可能にする象徴でもあるのだと人は言う。 今まさに、コクーンは混濁の中にある。 その闇に自ら飛び込もうと思ったのはレインズがいたからだ。 信念を持ち続けてなお、現実に何が存在して何が必要なのか。 彼にはそれを見極める力がある。 自分には到底かなわない強さがある。 だからこそ、奇跡を起こしてくれそうな予感がした。 否、直感だっただろうか。 そんな彼の背中を追い、守りたいと思う気持ちは誇らしく思う。 「でも、俺が一番信じてるのは准将ですよ」 「そのことは重々感じている」 レインズは僅かに口角を上げた。 「俺はあんたが奇跡を起こしてくれると信じてるんで。 期待に応えてくださいよ」 「…ああ、力の限り挑むとしよう。 だが奇跡を起こすためにはリグディ、お前の力も必要だ」 「俺がいなくちゃ始まらないってことですか?」 「その通りだ」 「…何だか照れますねぇ」 「フッ…頼りにしているぞ」 この目で見た事のない七色の橋が空に架かる。 本当はそんな奇跡を待たずとしても、世界が安穏へ向かえば良いのだが。 クッションを膝の上に乗せたままぐっと背伸びをした。 オーディオからの雫がしとしとと耳に届く。 再び優しくなった雨音を聞きながら、リグディはレインズの隣で夕暮れを待った。 ――――――――――――――――――――――――― コクーンの環境がどうなっているのかよくわからないので妄想で補完。 ただ雨を降らすには莫大なお金等などがかかりそうだから、 本当に何かあった時にしか雨を降らせないと思う。 多分、四季もそれほど目立っていないはず。 一年中快適に過ごせる空間を提供しているのがコクーンってイメージだなぁ。 色々想像が膨らむばかりですが、 今回はシドが雨のイメージ、リグディが晴れのイメージで、 二人が一緒にいるからこそ虹(=奇跡)が生まれたらいいなって妄想からきました。 TOPへ 戻る