act.12 ――――――――――――――――――――――――― 柔らかな朝陽が降り注ぎ、スノウはゆっくりと瞼を開いた。 変わらぬ光景、同じ匂いのするベッドの上だったけれど横に彼の姿はない。 居候するようになってから、必ずと言っていいほど毎朝彼の寝顔を欠かさず見ていた。 しかし日課だったはずのそれがこなせない事態に、スノウは慌ててベッドから飛び起きる。 部屋の中の時計を見れば間もなく昼が近い。 ホープが朝早く起きたのではなく自分の起床が遅いのだ。 珍しく寝過ぎてしまったかと、スノウは恐る恐る寝室の扉を開いた。 その隙間からふわふわと甘い匂いが漂ってくる。 丁度お昼ご飯を用意しているようだった。 美味しそうな匂いにくんくんと鼻を揺らしていると、 起床した音に気付いたホープが視線を向ける。 「おはよう、スノウ」 「はよ。今日は早いんだな」 「スノウが遅いんだよ」 ホープはくすくすと笑いながら冷蔵庫を開閉する。 昨夜の出来事がまるで嘘のような振る舞いだ。 いつもと変わらない朝の雰囲気に飲み込まれるようにして、 スノウは頭をぽりぽり掻きながら欠伸をこぼした。 テーブルに吸い寄せられるように腰を下ろすと、 ラップがかけられたお皿が後方から次々と並べられてく。 サラダに目玉焼きにベーコンに…妙に豪華版だ。 「朝飯作ったのか?」 「うん。今日から父さんが出張なんだ。 早起きするのにつられて僕も目が覚めちゃって。 せっかくだからスノウの分も作っておいた」 「そっか」 軽く息を吐くと、すっかりお馴染みになった空気に溶け込んでしまっていた。 このままではいけないと、夢の中でノラと約束したではないか。 やることをやって決着をつけなければならないと覚悟を決めたのだ。 待つばかりだけでなく、自分から一歩進まなければならない。 これは自分の仕事でもあるのだから。 唇を軽く噛んでからうっすらと開く。 どこから切り出したらいいだろうか。 いや、考えている暇などない。 とりあえず話をつけなければならないのだ。 「ホープ…あのな――」 「お昼ごはん、ホットケーキなんだけどいい?」 「…あ、ああ」 自分の心境を知ってか知らずか、見事に出端をくじかれてしまった。 キッチンでは遅い朝食を用意する慌ただしい音が聞こえている。 ホープがせっかく準備してくれているところに水を差す気は起きない。 「カフェオレ? ミルクティー?」 「カフェオレで…」 「了解」 いつもより張り切って用意する彼の姿を目で追う。 昨夜、自分に縋りついて泣きじゃくっていた少年とは思えない。 もしかして、寝ている間にキスされて――いや、それは考えられない。 もし唇を重ねていたら今頃は自分の記憶が消え去って、不審人物扱いになっているはずだ。 ホープは一晩寝たら悩みなど吹き飛んでしまうタイプなのか? そんなことを考えて頬杖を突きながら見守る。 やがてホットケーキが何段にも重ねられた皿がテーブルの上に並べられた。 甘い匂いが漂うと、腹の虫もざわざわと騒ぎ始めた。 妙に視線を送っているとホープもスノウの隣の席に腰を下ろす。 お腹も減っていたし、すぐさまホットケーキに手を伸ばした。 一枚目はマーガリンを塗ってぱくりと一口。 二枚目は朝ご飯のベーコンを乗せて口に運ぶ。 やはりホープの手作りはいつ食べても美味しい。 無我夢中で次々と口に運んでいると、ホープがかちゃりとフォークを置いた。 視線を向けると至って真剣な表情で唇を噛み締めている。 何事かと思い、口の中に残っていたホットケーキを一気に飲み込んでカフェオレを流した。 「スノウ…お願いがあるんだ」 「ん?」 迫るような瞳に息を呑む。 「今日だけでいいから、僕に付き合って」 真っ直ぐでいて哀しげな瞳。 それは自分と同じように全て覚悟を決めた眼差しだった。 「そしたらきっと、大丈夫だから…」 ホープも昨夜の出来事を忘れていたわけではない。 彼も彼なりに考えて一夜を過ごしていたのだ。 そして考え出されたホープの思いに先手を打たれてしまって、弱い自分が浮き彫りになる。 強請るような目をされてしまったらNOとは言えなくなってしまうではないか。 三枚目のホットケーキに手を伸ばしながら、スノウは二つ返事で申し出を受け入れた。 * * * 街の中でも特に賑わう商業地区へ足を運んだ。 噴水や大きな広場からなる公園を中心に、商店街がいくつも伸びているのだ。 休日ということもあってどこもかしこも家族連れと恋人で溢れかえっていた。 随分前にも人ごみにもみくちゃにされながら母さんと一緒に遊びに来たっけ。 ホープは頭の隅で懐かしい記憶を思い出した。 馴染みのある服屋の中で色々コーディネートしてみる。 普段着ている服はいつも母さんが選んでくれた。 母さんがいなくなってから服を買いに行くこともなくて、 せっかくだからこの機会に買っておこうと思ったのだ。 父さんと買い物に来ても良いのだけれど、妙に照れ臭い。 スノウだったら友達のような感覚で来られるから気が楽になる。 「この帽子どう?」 「お前はこっちの方がいいだろ」 「えー? これじゃ子供みたいだよ」 「ははっ、お前は子供だろ」 「子供じゃないよっ」 唇を尖らせるとぽんぽんと頭を軽く叩かれる。 こんな他愛ない会話が嬉しかった。 スノウが僕の事を考えてくれる時間が嬉しかった。 だから彼が似合うと言ってくれた服は全部買ってしまい、 両手にはバーゲンセール並みの紙袋がいくつもぶらさがっていた。 買いたいものも買いそろえたし、そろそろ帰路に辿りつこうと思った矢先、 忘れていたものをハッと思い出す。 「そうそう。買いたいものがあるんだ」 いくつもの店が並ぶ商店街のある店を指さした。 スノウは呆れ笑いを零しながらもホープの後ろを着いてきてくれる。 「何だ? また服か?」 「違うよ。雑貨屋」 「雑貨?」 「フォトフレームが欲しいんだ。小さいのでいいんだけど…」 てくてくと歩きながら店の中に入る。 店内にはインテリア家具や小物などの日常雑貨が置いてある。 うろちょろと歩き回り、とあるコーナーで足が止まる。 二段に分けられた棚は様々な色や形のフレームが並べてあった。 その中でもホープは至ってシンプルな、四角いフレームを手に取る。 硝子で仕上がった薄い水色のものだ。 思ったよりも重くなく、けれどしっかりしている。値段もお手ごろだ。 様々な角度から見ているとスノウがひょっこり覗いてきた。 「何に使うんだよ」 「写真入れておくに決まってるじゃん」 「誰の?」 「僕とスノウの」 当り前の返事をするとスノウは黙りこくってしまう。 どう反応していいか戸惑っているようだった。 もしかして写真を撮りたくないのだろうか。 手元にフレームを持ったまま立ち尽くしていると、 やがてスノウが口元を緩めて買って来いと呟いた。 言われるままにレジに商品を持っていき会計を済ませる。 ちらりと振り返るとスノウはあの場から動かずに、 隣に並んでいたピンク色のフレームじっと見つめていた。 「うわぁ…すごい!」 街が一望できる展望台。 観光スポットとしてテレビや雑誌によく取り上げられているが、この目で見るのは初めてだった。 ちょうど夕焼けが街を橙色に染め、幻想的な景色をつくり出している時だ。 ついつい興奮気味になって展望台の先端まで走っていく。 こっちこっち、とスノウを誘うと鞄からポラロイドカメラを取り出した。 「カメラ…?」 「そう。ここで記念写真」 レンズに収まるために密着しようと肩に手を回そうとするが背伸びしても届かない。 もうちょっとしゃがんで、と膨れっ面を作るとスノウが笑って膝を折り曲げてくれた。 不意に顔が急接近してとくりと心臓が跳ねる。頬に掛かる髪がくすぐったい。 カメラのレンズを自分たちに向けたままめいっぱい腕を伸ばしたけれど、 どうしても上手く中心に構えられなかった。 何度も構え直していると、痺れを切らしたスノウが助け船を出してくれる。 「俺がやってやるよ」 その言葉に甘えてカメラを渡すと同じように構えた。 見よう見まねだったけれど、腕が長いぶんしっかりと安定している。 「こうか?」 「そ。右の丸いボタンがシャッターだよ」 「いくぞ」 シャッターボタンに指を掛けて軽く押す。 カシャリと軽い音がしたのち、カメラから機械的な音が鳴り響く。 やがてカメラの上部からぬるぬると一枚の紙が出てきた。 白い縁に囲まれた真っ黒な部分がじわじわと色づき始める。 何度か軽く振ってみると、二人が映った写真が鮮明に浮かび上がってきた。 照れ臭そうな笑顔だったけれど、幸せに満ちた一枚だった。 家に帰ったころにはあっという間に外は暗がりだった。 近くの店で夕食を買ってきてもよかったのだけれど、 せっかくだし二人で作る事にした。 帰り道に寄ったスーパーでスノウのリクエストを聞いたところ、 どうしてもカレーが食べたいとのことだった。 ついこの前も食べたばかりじゃないかと笑うと、 今日は絶対お前のカレーが食べたいんだ!と言い張るのだ。 否定する理由もなかったし、 駄々をこねる子供のようなスノウの意見を素直に聞いて材料をカゴに入れていった。 お馴染みの香りが部屋の中に立ち込める。 昼と同じように二人並んで席に着いて、手を合わせて夕食を頂く。 一口、口に含んだ瞬間。 得体のしれない美味しさがこみ上げてきたのは何故だろう。 スノウと一緒に作ったからだろうか。 材料も作り方も何一つ変えていないはずなのに、不思議な気持ちなって、 彼と同じように夢中になってカレーをかき込んでしまった。 スノウだってさすがに気付いているはずだろう。 僕の我儘で今日一日付き合ってもらったけれど――もう限界が近い事を。 いつまでもずるずる引きずってはいられない。 もうそろそろ本題を出すべきだろう。 後片付けを終え寝室のベッドに腰掛けながら深呼吸すると妙に緊張してしまう。 買ったばかりのフォトフレームに展望台で撮った写真を入れる。 スタンドライトの横に飾ると影が隣にやってきた。 「ぴったりだな、フレーム」 「うん」 笑顔でそう言ってくれるだけで幸せな気持ちになる。 黙ってしまったらすぐにでも聴きたくない言葉が聞こえてきてしまいそうで怖い。 「今日は楽しかった。ありがとう」 「俺も楽しかったぜ」 けれど――もうここで終わらせなきゃならないんだ。 ホープはすぅと息を吸ってスノウを見上げた。 「実はね、母さんの夢を見たんだ」 「え…」 「スノウはもう帰らなくちゃいけない。 だから、ちゃんと想いを伝えなさいって母さんに言われたんだ…」 誰にも言わなかった秘密。 昨夜、夢の中に母さんが出てきたこと。 これ以上、僕の我儘でスノウに迷惑をかけてはいけない。 夢の中で見た母さんは困ったように微笑んで髪をそっと撫でてくれた。 天国に行ったはずの母さんは僕の事を見守ってくれているんだ。 嬉しかった反面、これ以上心配はかけられないと改めて強く思う。 心配だったからこそ、スノウがこうやって家に来てくれたのだし、 久々に対面した母さんを見て、成長した僕を見て欲しいと思ったのだ。 「スノウがいなかったら、僕…きっとこのままだったと思う。 全部スノウのお蔭なんだ。ありがとう」 「お礼ならノラさんに言えよ」 「母さんの頼みを聞いてくれたのはスノウだよ」 照れ臭そうに笑うスノウにつられて口元が緩むと、するりと腕が伸ばされる。 不意に重なった手のひらの温かさ。 全てを包み込んでくれるような大きな感触が震えるくらいにドキドキする。 だから、あの言葉を告げる前にもう一度だけ言っておきたいんだ。 「スノウ」 「ん?」 「好きだよ」 「……知ってる」 暗闇の中でぽつりと呟くとスノウが目を細めながら返事をした。 そんな顔をされたら期待してしまう。 僕のドキドキを止めてくれるのはスノウしかいないって。 苦しいくらいに切ない想いを埋めて満たしてくれるのはスノウしかいないって。 「…本当はずっと一緒に居たい。 けど、スノウは…僕たちと一緒に居られない。だから―――」 もう、さよならと告げる時間だ。 そう言おうとした言葉が吸い込まれるように喉の奥に消える。 僕の小さい身体がスノウの腕にすっぽり収まったからだ。 「スノウ…」 背中に回された腕。 力強く抱きしめられてどうしたらいいかわからなくなる。 スノウも同じ気持ちなのかなと勘違いしそうになってしまう。 鼓動がシンクロして、夢を見ているくらいに儚くて。 今にも消えてしまいそうな心地が支配する。 「お前は、俺がいなくてももう大丈夫なんだろ?」 「…ん」 「親父さんと頑張って生きていくんだ」 「…うん…」 左胸に耳を宛てるとスノウの音が聞こえてくる。 涙が溢れそうになって、いてもたってもいられなくて、僕は最後の懇願をした。 「…キス、していい?」 スノウは眉を寄せて困った表情を浮かべる。 「したいよ…」 僕の気持ちに嘘偽りはない。 全部、想いを告げたならそれで満足出来るはずだった。 「スノウだから…したい」 震える指先でスノウの腕を掴むと、静かに頭を撫でられる。 「キスは、別れの挨拶だ」 微かな声で呟いた後、薄く開いた唇を親指がなぞる。 どうしよう。もうこのままじゃいられない。 「それなら、僕を愛して」 「…ホープ?」 唇に触れた手に自分の手を重ねる。 そのまま己の首筋に誘導して滑らせる。 抱き合うだけじゃ足りない。 一緒に寝るだけじゃ足りない。 その気持ちをどうしても伝えたかった。 「いなくなる前に、愛してよ。 忘れられないくらい、愛してよ」 それはもっと深い関係になること。 好きなら、愛しているなら。 拒むなら拒んでくれればいい。 涙が溢れてこぼれそうな瞳で見つめる。 僕の言葉を聞いてスノウは苦笑を浮かべた。 拒否されると思いきや、突然耳朶をそっと噛まれてふるりと体が震える。 「…もう、とっくに愛してる…」 二人の影がひとつになってベッドに倒れ込んだ。 自分の上に跨るようにスノウの身体が動くと軋んだ音が微かに響く。 同じ高さで視線が交わされる。 戸惑っていた指先は、視線を交わらせただけでいとも簡単に絡み合う。 やがてどちらともなく微笑んで、スノウの唇が白い肌にそっと寄せられた。 next 戻る