act.13 ――――――――――――――――――――――――― 朝の静けさが満ちた部屋にうっすらと光が差し込んでくる。 二人は生まれた姿のままベッドの上に寝転がっていた。 ふと瞼を開けて夢の中から覚めたのはホープだ。 目の前にはスノウがぐっすりと眠りについている。 鎖骨の辺りを撫でると、触れあった肌にまだ熱が残っているような気がした。 薄い肌掛けの中で寝がえりを打つとその音に反応してスノウが眼差しを向けた。 起こしてしまったかと不安に思い、ごめんと呟くと彼は穏やかに笑って髪を撫でてくれた。 身を寄せると肌に感じる心臓の音が心地よい。 「あのさ…」 「ん?」 「スノウはどうして母さんの願いを聞いたの? 僕を支えてほしいって願い…」 深いことは考えずに浮かんだ質問を投げかけると、 スノウは腕組みをして頭を支え、仰向けになって考え込んだ。 ヒトじゃない彼の答えは一体どんなものだろう。 密かに予想外の返事を期待しながらじっとスノウの答えを待つ。 しばらくして唇がゆっくりと動き、声が落とされた。 「俺の仕事だから、かな」 「仕事?」 「そう。俺は大切な人の、大切な願いを叶える仕事をしてるんだ」 スノウの答えを聞いてホープは目を輝かせた。 具体的な仕事内容を聞かずとも、 胸を張る彼の姿から必然的に素敵な仕事だと伝わってくる。 そしてスノウに向いている仕事だと思う。 この世界に夢を叶えるような素敵な仕事があるなんて。 息を呑むと同時にホープは不安に襲われた。 「…スノウは仕事だから僕の傍に居てくれたの?」 仕事だから自分の我儘を聞いてくれて、ずっと傍に居てくれた。 愛してくれたスノウの指も声も温もりも嘘じゃないと思うけれど、 全て仕事だからと割り切っていたらそれはそれでショックだ。 唇をきゅっと噛みながら見つめると、スノウは「今更それ聞くか?」と苦笑した。 本音を聞かせて欲しい反面、嘘でもいいから求めている答えが欲しかった。 「スノウの気持ち、知りたいんだ」 「…最初はそうだった。けど――」 「けど…?」 「段々、理由もなくお前の傍に居たいって思うようになった」 ほろりとスノウの顔に笑みが浮かぶ。 「ほら、ホープは一人にしとくと勝手にどっかいっちまいそうだしな」 「なっ…何だよそれ…」 「どんどん先に歩いて行っちまうってこと。 けどお前さ、しっかりしてるように見えて意外と泣き虫だし、俺が支えてやらねぇとって感じてさ」 「……」 「でも最近は親父さんとも上手くやってるし、俺が傍に居なくても大丈夫だなって思った」 そう照れ臭そうに告げてから、スノウは頬に掛かる髪をそっと拭ってくれる。 素直に嬉しかった。 スノウが自分を見てくれていることが、今一番の幸せだった。 「…ありがとう」 頬に触れる手に己の手を重ねて見つめる。 自然と笑みがこぼれ、二人の間に柔らかな空気が漂った。 「また、会いに来てよ」 「おうよ。そん時はカレー作って待っててくれよな」 「もちろん」 いつだって待っているから。 スノウが大好きなカレーを作って待っているから。 交わった体温をゆっくりと解いてから彼はベッドから抜け出し、身なりを整えた。 もうこれ以上引き止められないのは百も承知の上だったけれど、 ホープは本能的にスノウの服の裾を掴んでいた。 「ホントに最後のお願い」 「ホープ…?」 「翼に…触らせてほしいんだ」 スノウと出会ったあの日。 空から舞い降りてきた羽根を見つけ、そこから僕の人生が変わった。 もしも叶うのならば、最後に奇跡のような羽根に触れておきたかったのだ。 「俺の翼か?」 「うん」 スノウは少し考えた後、困ったように微笑んでこそこそと身を屈める。 手をくいくいと動かされ、それに引き寄せられるように近づく。 耳元に手を宛てて彼は小さな声で囁いた。 「皆には内緒だぞ」 「わかってる」 くすくす笑うとスノウは胸を張って姿勢を正した。 瞼を閉じながら静かに呼吸を繰り返していると、やがて光が彼を包み込んで翼を形成していく。 ゆるりと円を描きながら、星のように輝き放つものが徐々に羽根となって重なってゆく。 そう数分もしないうちにスノウの背中には立派な純白の翼が生まれていた。 「わぁ…すごい…」 「どこからでもいいぜ。 あ、でも中心はちょっとくすぐったいから勘弁な」 僅かに頷いてからそっと手を伸ばして羽根の先端に遠慮がちに触れる。 徐々に羽根の中へと手を突っ込んでゆくと、ふわふわとした柔らかい感触がホープを包み込んだ。 動物の毛のような…暖かい布団のような…何かに似ているけれど、確実に例えられるものはない気がした。 「気持ちいいね」 肌をくすぐる感触が面白くて、心地よくて何度も指先に絡めて遊ぶ。 「スノウ…」 「……」 「好きだよ」 不意に呟くと、翼に触れていたホープの腕を引き寄せてスノウはその胸に抱きしめる。 「俺も好きだ」 力強い腕に抱きしめられ、瞼を閉じながら彼の温かさを感じる。 肩に埋めていた顔をそっと引き剥がされ、頬に手を宛てて見つめ合った後、 どちらからともなく引き寄せられて、ゆっくりと唇を重ね合わせた。 「…んっ…」 混じる甘い吐息と待ち望んでいたキス。 けれどそれは別れを告げる哀しい現実を示していた。 「…ッ……ふ…」 ちゅっと軽い音を立てながら何度も口付けを交わす。 満たされてゆく想いが全てを支配して何も考えられなくなる。 背中に回した腕で必死にしがみつく。 僅かな呼吸の為に離れても再び柔らかな感触が唇を襲う。 「…ぁ、…んぅ…っ…」 ずっとこうしていたい。 二人を引き裂くものの正体はいったい何なのだろう。 突きつけられる現実なのか、ありふれた常識なのか。 確かな正体はわからない。 わからないのに、どうして離れなければならないのだろう。 溢れる愛おしさの奥で胸をきりきりと締めつけるものに悔しさを覚える。 「…はぁっ……ぁ…」 名残惜しく唇が離れると急激な眠気がホープを襲った。 これも彼が持つ特別な効能なのかもしれない。 うとうとする瞼を必死に抵抗するホープの背を支えながらスノウはベッドに寝かしつけた。 閉じて欲しくない瞼は無情にも下がり続け、夢の中へと再び誘われていく。 絡み合った指先をそっとほどき、彼が眠りについたのを確認するとスノウは目を細めた。 「それじゃあな、ホープ」 うっすら濡れた唇を親指で拭う。 好きだと言ってくれた羽根は誇れる宝物だ。 スノウは最後に一度だけ振り返ってホープの寝顔を見つめてから、天井と空の先の世界を見上げた。 大きな翼はばたかせ、ひとりの天使は光と共に地上から去った――。 ジリリリリリ。 夢の中に迷い込んだ意識を引き戻す、けたたましい目覚ましの音が鳴り響く。 「…ん…もう、朝…?」 ホープは目を擦りながら上体をゆっくりと起こした。 ぼうっとする頭で時刻を見れば既に昼が近い。 今日は学校が休みだとはいえ、こんな時間まで寝ているのは久々の事だ。 昨日街まで買い物に行ったのが相当疲れていたのか、未だに足腰が重苦しい。 「父さん、帰ってきてるのかな」 昨日は出張で家に帰って来なかった。 今日中には戻ってくると言っていたはずだけれど、もう仕事が終わったのだろうか。 まだ僅かなだるさが残る身体を伸ばして調子を整える。 そんなに重いものを買ってきた覚えがないのだが、腰がずきずきと痛んだ。 痛みを発する箇所をさすりながらホープは立ち上がると、ふと布団の上にあるものを見つけて目を瞬かせた。 「何だろう…これ」 あまりにも場違いな光景。 違和感の正体は――。 「鳥の羽根?」 布団の上に白い羽根が一枚。ぽとりと落ちていたのだ。 ホープは恐る恐る手に取って指でつまみながら観察する。 何の覚えもない羽根にホープは首をかしげた。 「服に付いてたのかな…」 どこから連れてきたのだろうか。 それにしても綺麗な鳥の羽根だ。 きらきらと輝く見た事もない透き通った色合いに見惚れてしまう。 だがあくまで美しい羽根というだけだ。 一通り観察したのちホープは机の上に放り投げてリビングへと向かう。 寝室に注ぎ込んだ朝陽に羽根はきらりと静かに輝きを放っていた。 next 戻る