act.4 ――――――――――――――――――――――――― 隣ですやすやと心地よさそうに眠る寝顔を見つめ、スノウは目を細めた。 「…確かに、こいつを置いてきちまったらノラさんも不安になるよな」 苦笑を浮かべながら独り言を洩らす。 腕の中で眠る少年は大人びているようでまだ子供だ。 まだホープと知り合って間もない。 けれど彼の人柄の良さはひしひしと伝わっている。 夕食を作ってくれただけでなく、挙句の果てに居候まで許してくれるとは予想外のこと。 彼の対応の良さに、少しは怪しんだ方が良いのではないかと突っ込みたくなるほどだった。 やはりノラの名の力は大きいと改めて感じる。 彼女の名を話に出したのが、ホープの対応を大きく変化させているのは間違いないだろう。 「見ちまったのも…嘘じゃねぇよな」 翼は、人間に見られてはならないもの。 スノウは天界に住まう天使だ。 そもそも天界とは、地上に生きる人間の肉体が死に絶え、肉体を無くした魂がやってくる場所。 基本的には生きとし生けるものの魂は全て天界にやってくるのだが、 地上で罪を犯した人間は地界に送られて拷問を与えられることもあると言う。 天界には地上に暮らす人間を見守り続けている神がいる。 スノウはその神に仕える天使の一人といったところだろうか。 天使は神の世話をしたり、送られてきた魂を分別したり、天界において様々な役割がある。 その中でもスノウは死者の依頼を受ける特殊な仕事を任されていた。 死者の依頼の仕事。 それは、人間界と関わる重要かつ危険な仕事でもある。 肉体を無くす原因が寿命ではなく、 不慮の事故や突然襲った悲劇で魂が天界へ来る人は後を絶たない。 その人たちに後悔や怨み哀しみを残したままにしないよう、 最後の願いを一つだけ叶えられると言うシステムだ。 しかし、肉体は滅んでしまったため実体として地上に戻る事は出来ない。 そのため天使が死者の代わりに願いを引き受けて実現させるのだ。 地上に残してきた人に夢を見せたり、手紙を届けたり、最期の別れの挨拶としての願いが多い。 天使の中でもスノウはまだまだ新米の部類に入る。 失敗も多い日々だが、真摯に取り組む姿勢だけは忘れていない。 もっと経験を重ねて成長していくために、スノウは進んで依頼を受けていた。 そんな時にノラと出会ったのだった。 「――交通事故、だって?」 「ええ」 彼女は酷く哀しそうな顔をしていた。 そりゃあ、いきなり天界送りだなんて納得いかないよなと思う。 いつもの通りお決まりの台詞を告げる。 「それなら、願いを一つだけ叶えてやる」 「願い…?」 「ああ。家族や友達に言い忘れた事でも、最後にあんたのやりたいことを叶えてやる。 けど、あんたの身体はもう無い。俺が代役でやることになるからそこは了承してくれな」 「その願いは…何でもいいの?」 「まぁ、俺が出来る事なら何でもいいぜ。 ただし願いは一つだけだ」 「そう…」 曇ったままの瞳で彼女は僅かに俯いた。 願いを叶えられるのはただ一つだ。 けれど大雑把な願いは受け入れられないという、厄介なシステムでもある。 仕事は基本的に、一つの願いにつき天使が一人という分配だ。 いくら天使が普通の人間よりも力を持っていたとしても、一人では出来る事が限られている。 どこまで出来るかの範囲は天使一人ひとりの力量にもよるが、スノウはまだまだ成長途中にある。 そこは本人の努力次第でもあるのだが、 大体は自分の限界のボーダーラインを少し低めにして、出来る範囲の依頼を受けているのだ。 当然、必ず願いを言わなければならないというわけでもないから、 システムの説明を受けた時点で辞退する人もままいたりする。 その時は逆に給料が減るか不安になってしまうのはここだけの秘密だ。 しばらくの沈黙ののち、彼女はふと空を見上げた。 「それなら―――」 天使の羽のような、温かな色に包まれた空。 どこまで続いているかはわからない。 そんな空を見上げながら彼女は穏やかな笑みを浮かべた。 「あの子を――ホープを支えてほしいの」 彼女の願いは受け入れられた。 支えると言われたけれど、正直どうすればいいかわからなかった。 考えてみれば支えることは個々に違ってきてしまう。 ホープを支えるためには何をすればいいのだろう。 もっと彼女に詳しく聞いておけばよかった。 そんな事を考えていて、あの時は緊張感がなくなっていた。 「あ…やべっ!」 翼を隠すタイミングを外してしまうとは予想外の展開だった。 人間に正体がばれてしまうと天界を永久追放されかねない。 が、実際にはそのような罰は滅多に起きない。 見られてしまった人間、すなわちホープの記憶を消せばいいからだ。 天使の正体が知られてしまった時には、知ってしまった人間の記憶を消す。 地上の歴史を動かしかねないからだ。 人間の記憶を操作するのはあまり良くないとされているが、 下手に存在を知られたままよりは安全策だろう。 記憶を無くすその方法もまた少し特殊なものだ。 決して難しいわけではないけれど、スノウはまだ慣れていない。 ぐっすり眠る彼の髪をそっと撫でてみる。 ホープは今のところ半信半疑だ。 けれど少しずつ心を開いてくれているようにも見える。 今この時点でホープの記憶を消すのも面倒なことになるだろうし、 記憶を抹消するのは仕事が終わってからでいいだろう。 「もうちょっと様子見だな」 本当のところ、この依頼をいつ切り上げるかまだ見通しがない。 ただいつもより時間がかかることは間違いないはずだ。 だが仕事とはいえ、これほど人間と深くかかわることがなかったスノウは不思議に思う。 わざわざ人間の住む家を寝床にする必要もないし、食事だって自由にとればいい。 なのに、何故ホープの傍に居なくてはならない気がするのだろう。 それは自分自身も分からない、彼を初めて見たときの直感だった。 「ホープを支える、か…」 特別に何かをしているわけでもない。 一緒に生活をするようにしただけだ。 けれど出会った時の哀しげな表情から、 自分が同じ時間を重ねることによって彼が穏やかになっていくことが嬉しかった。 それは知らず知らずのうちにホープの笑顔がスノウの心を満たし始めていた証だった。 next 戻る