act.7 ――――――――――――――――――――――――― うっすら明るくなり始めた空。 背中に感じる温もりが心地よくてうっとりと目を細めた。 目覚まし時計に視線を送ると、設定時間の一時間前だった。 もう一度眠りにつこうと瞼を閉じると、リビングから微かな物音が聞こえて来る。 今日は家に帰って来たのだろうか。 もしかしたら、今なら話を聞いてくれるかもしれない。 昨夜のスノウの言葉が頭の中をぐるぐると駆け巡る。 今度はいつ帰ってくるかわからないし、チャンスは今しかないだろう。 お腹のあたりに巻きついたスノウの腕をそっと外す。 起こしてしまわないように慎重に慎重に。 足音を立てないようにひんやりとした床をひたひたと歩む。 寝室の扉に手をかけてリビングを覗くと、 朝の独特の澄んだ空気に混じった珈琲の香りが仄かに漂った。 「ぁ……」 そんな小さな物音にも気付いたのか、父さんはちらりと一瞬視線を向けて動きを止めた。 しかし何事もなかったようにすぐに新聞に目を戻してしまった。 声をかけることも近づく事も、何もかも拒むような空気が伝わる。 だがここで臆して扉を閉めるのは、今までの自分だ。 声に出して言わなければならない。 これはスノウと――母さんの願いだ。 僕は前に進まないといけないんだ。 だから震える手をしっかりと握り締めて扉を開く。 「父さん今日も仕事?」 「…ああ」 話しかけたはいいもののそこからどうしていいかわからずに、 逃げ腰のままホープは冷蔵庫に向かってしまう。 牛乳を取り出してコップに注ぎ、喉をこくりと鳴らした。 新聞がぺらりとめくられる。 「プリント、見てくれた?」 「プリント?」 リビングのテーブルに置いたままにしていた発表会のお知らせプリントだ。 父さんなら少しの変化に気づかないはずはないだろう。 「テーブルの上に置いてあった…」 「ああ…あれか」 予想通り。 視線に止めてくれることぐらいはしてくれたらしい。 「今度さ、学校で発表会があるんだ。来て――」 「時間がないな」 これも予想通り。ぴしゃりと遮断される。 これが当り前だ。いつもの事だ。 発表会に来てくれだなんて、急に言われても父さんだって父さんの仕事の都合だってある。 無理に合わせてくれるはずはない。 こんなに簡単に変われるはずなんてない。 最初から期待するべきではなかったのだ。 しゅんと項垂れて微かな声を洩らす。 「そう…だよね。ごめんなさい」 その返事を聞くなり父さんは鞄を持って家を出発してしまった。 独特の静けさが戻ったリビングに一人残され、ホープは肩を落とす。 「親父さんもこっち向きになってくれりゃあな…」 そんな一部始終をスノウは寝室からそっと覗いていた。 いくらホープが積極的になったとはいえ、 相手があんな感じではホープの気も削がれてしまうだろう。 余計にふさがってしまうことだけはどうしても避けなければならない。 「ちょっとだけ、俺も手を貸すか…」 出来れば一人の力で乗り越えてほしかった。 けれど、ただひたすら見守って応援しているだけではいられなかった。 スノウは上を向いて深く呼吸を繰り返す。 「ノラさん、少しだけ力を貸してくれよな」 きっと彼女も二人の和解を望んでいるはずだから。 朧げな世界で、微かな声が聞こえる。 ――なた……あなた…。 …お前…? どうしてここに…。ここは一体どこなんだ? もう時間がないのよ。 どういうことだ、ノラ。 あなたに伝えたいことがあるの。 ……。 もう、逃げないで。 ……っ。 あの子は…ホープはあなたの事を思っているわ。 ……。 お願い。私を安心させて。 ……。 ふふっ、そんな困った顔をしないで。あなたらしくないわ。 ノラ…。 これが…私の最後のお願いよ。 ノラ…! あなた。 ……。 ……愛してるわ。 ノラ…待ってくれ…ノラっ!! それは夢と現実の狭間――。 良く晴れた休日がやってきた。 こんな日は家族でどこかに遊びに行く気分になるものだが、 それはあくまで友達に聞いた話だ。 ホープの家でいう休日は学校が休みというだけ。 父さんは毎日仕事だし、もともと休日に関係なく家に居る事は少ない。 が、今日はあまりにも天気がいいからスノウと一緒にショッピングしたい気分だ。 大きな欠伸を零しながら寝室を出ると、ソファーに腰掛ける人影が目に止まった。 「起きたか」 「…父さん?」 こんな時間に家に居ると言う事は久々の休日だろうか。 あまりにも珍しい状況にホープはぱっちり目が冴えてしまった。 思わず父のもとへとゆっくり歩み寄る。 「今日は仕事、ないの?」 「ああ、今日は休みを取ったんだ。 久々にお前と話がしたくてな」 「父さん…」 あれほど忙しない父さんがいきなり息子との会話の時間を作るなんて。 正直、何か裏があるのではないかと疑いそうになってしまう。 けれど父の表情は真剣そのもので、 せっかく生まれたこの機会を無駄にしたくないと思い、 ホープは覚悟を決めて隣にそっと腰を掛けた。 next 戻る